やすなが  もとのり
 安永 元典

ショー(小さな手落ち)〔油彩〕
1949年 福岡県直方市生まれ
 
1973年 京都市立京都芸術大学西洋画科卒業
 
1974年 京都洋画新人展
 
1975年 京都洋画総合展(買い上げ賞・京都府資料館)
 
       京都市立京都芸術大学専攻科西洋画専攻修了
 
       芸大美術展(買い上げ賞・京都市立京都芸術大学)
 
1976年 ギャラリー射手座(京都)にて個展
 
1983年 紀伊國屋画廊(新宿)にて個展
 
1984年 第15回日本国際美術展(栃木県立美術館賞)
 
1987年 フジヰ画廊モダーン(銀座)にて個展
 
1991年 たましんギャラリー(東京都立川市)にて個展
 
       京都高島屋美術画廊にて個展
 
2002年 田園の美術館にて個展
 
2011年 田園の美術館にて個展
 
2013年 京都高島屋にて8回目の個展
        


             [自分を見つめる為に]
 
 北窓の穏やかな自然の光を受けたモチーフの前に静かに座り、気持ちを落ち着かせる。しばらくの間それらを見つめ、頭の中を整理し、筆を取る。これが私の仕事の入り方で、若い頃とさほど違いはない。
 
 私の描くものは、身の回りのものが中心である。華やかなもの地味なものに係わらず、ゆっくり丁寧に細部まで見れば、どれも美しい。穏やかな光は隅々まで豊かな色彩を照らし出し、改めてその美しさが実感できる。だからこそ見える限りを描いてやりたいと思う。細かな表現は、その為だ。
 
 その穏やかな光も、季節、天候によって、又体調や心理状態によって、印象ばかりか色彩まで変化するから、不思議な世界である。
 
 私はその美しさを表現する際に、モチーフを物としてではなく、心あるものとしてとらえ、静かに語らいながら接するようにしている。自分の感情や思いが強すぎると我の強いものに、逆にモチーフの現象に引きずられたり、なぞるに止まれば弱く、本質から離れたものになってしまう。自分とモチーフ、互いの主張を大切にできる微妙なバランスを感じながら描き進めるのが、私の制作方法である。
 
 私が京都芸大に入学した時は学生運動の真っ最中で、授業はろくに受けられず、京大付近では火炎瓶、催涙弾が飛び交い、デモも頻発した。そんな中、[君たちは何の為に作品を創るのか]と問い詰められもした。運動に対しては醒めた部分があったが、この問いにはいつか答えねばと考えていた。答えを探す為の一つの方法として、分野、時代を問わずに時間をかけて作品を見て回った。京都という土地柄、質量共十分すぎるものが揃っている。一学生が見た物は知れたものとはいえ、置かれた境遇も踏まえて出した答え、それは”自分を見つめる為”だった。
 
 社会と自分というテーマを設定し、新聞を描く作品に取り組んだ。これは早々と思わぬ形で評価されたが、自分の中では素直に受け入れられるものではなかった。その後に務めた高校の教師を二年で辞し、リュックを背負ってヨーロッパを中心に宗教画を始め様々な作品を見て回った。この旅で”自分は日本人である。これからは人を気にせず好きに描いていこう”という思いを得て、気持ちは楽になった。
 
 その後の紀伊國屋画廊での個展、コンクール出品で一定の評価は得たものの、社会批判、風刺等の批評は自分の思いとはズレていてがっかりもした。そこで、もっと素直に自分に問いかける方法として、対象を石に求めた。体力的には厳しかったが、想像以上に納得のいくものだった。人の目も気にならず集中でき、自分の色々な情況がよく見えるのだ。気持ちも安定し、周囲もよく見え、楽しい時間であった。ただ生活を考えると石だけを描いているわけにもいかず、対象を身近なものに広げていった。そうした中にも、石を描く時のような密度を求めていって結果が現在の作品である。とはいえ製作中に形態の変化が激しいものが多く、対処しきれていない。技術的なものも含め、課題である。
 
 自己主張が強い世界にあって、こうしたものを追求する作品は面白みに欠けるかもしれない。生活面でも家族に迷惑をかけているが、これも私が選んだ生き方。我がままではあるが、六十を過ぎればいつ果てるともわからぬ生命である。自分とモチーフが一体となった作品が生まれることを願いつつ、一点一点大切に描いていきたいと思っている昨今である。
         
                                                     (2011年田園の美術館での個展にむけて)
 
 
 



十様の表情〔油彩〕
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